モンテプルチャーノ ダブルッツオを日本に広めたリーダー的存在
意図的にリリースを遅らせ、ボトル熟成して飲み頃になってからの出荷
国 | イタリア |
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地域 | アブルッツォ |
歴史 | 400年の歴史を持つ。 1577年、コルナッキア家がナポリ王国により、バローネ(男爵)の爵位を与えられ、ブルボン王朝との国境を接するこの土地を管理、監視する役目を担っていた。そのような経緯から、先祖代々、広大な土地を所有し、その中から葡萄栽培に適した選りすぐりの土地を畑とし、質の高いワインを造ってきた。 コルナッキア家は代々、チヴィテッラの要塞に居住していたが、長い戦争の後、1861年にイタリアが統一されると、コルナッキア家は要塞を手放さなくてはならなかった。それにより、狩猟地だったトラーノ ヌオーヴォに移り住むことを余儀なくされた。この場所が現在のワイナリーがある場所。 20世紀初頭、イタリア全土を襲ったフィロキセラによる畑の壊滅後、フィリッポ ヴィッツァーロ コルナッキアがアメリカの台木にクローンを接ぎ木し、畑の植え替えを行った。 20世紀の初頭、モンテプルチャーノ ダブルッツォの生産を開始。 1933年、品評会で最初の公的な賞を受賞。カテリーナとフィリッポの祖父の時代には、既に見本市にワインを出展していた。祖父は当時からモンテプルチャーノの高品質なワインを造っていた。 1960年代、モンテプルチャーノ ダブルッツォをアブルッツォでいち早く瓶詰めを行った。 1969年、バローネ コルナッキアの畑から、現在も広く使われているR7というモンテプルチャーノのクローンが採取された。 1980年代、カテリーナとフィリッポの父、ピエロ コルナッキアがヨーロッパ、アメリカへワインの輸出を始める。 1990年代、日本へ輸出をスタート。ピエロの時代に、ポッジョ ヴァラーノ、レ コステが誕生。 2012年、ゴフレード アゴスティーニがコンサルタント・エノロゴとしてワイン造りに参加。 2016年、カテリーナとフィリッポが正式なオーナーとなる。 |
オーナー | カテリーナ コルナッキア : 姉。1976年生まれ。主に販売や事務管理。 フィリッポ コルナッキア : 弟。1977年生まれ。ワイナリーのセラーの仕事を中心。
ピエロ コルナッキア : 父 父は今でも現役で主に畑仕事をしている。母は経理や事務。法律や瓶詰めや様々なイタリアの厳しい規定(ビオなども含み)に対しても母が対応しています。
ゴッフレード アゴスティーニ : 2012年から、コンサルタント。ヴェレノージやトスカーナ、アメリカの生産者も兼任。意見交換して一緒にワイン造りすることで、コルナッキアのスタイルを残しつつ、品質がさらに向上。 |
葡萄園 | 60~62ha アブルッツオ州北部に位置する古くから葡萄栽培に適した丘陵地。80%が南向きの斜面で、石の多い石灰岩土壌。 アドリア海が穏やかな気候をもたらし、高い山(グラン サッソ)が悪天候を遮る。 全てのエリアがコッリーネ テラマーネのエリアだが、D.O.C.G.の申請は最良の5haのみ。 |
栽培 | 有機栽培 イタリアを代表するICEAの認証、EUの有機ロゴ「ユーロリーフ」表示。害虫除けには主にフェロモン。肥料は鶏の糞。 グリーンハーベストを毎年7、8月に行い、1本に5房付けるようにする。 収穫 手摘み。酸が落ち、糖が高まり、タンニンが強くなる。この3つの要素で、一番良いタイミングが大切。 |
<情報リンク>
「100%コッリーネ テラマーネ D.O.C.G.の指定区域から」 コルナッキア家が所有する畑は全てモンテプルチャーノ ダブルッツォ コッリーネ テラマーネD.O.C.G.に指定された区域に入っています。アブルッツオ州全体からD.O.C.G.に認定されたエリアは、北部の丘陵地のみ。このことからもコルナッキア家の所有する畑がとても良いことが分かります。また、コルナッキア家がD.O.C.G.に申請するのは、所有する60~62haの内、最良の5haのみです。
「世代交代による改革で、伝統的なアイデンティティを残しつつ、高いエレガンスを追求」 ピエロ コルナッキアから、カテリーナとフィリッポへと世代交代をして、ワイン造りにさまざまな改革が行われました。主な変更点は、①赤ワインは、温度管理して、マセラシオンの期間を長くした。またデレスタージュにより、タンニンがエレガントで滑らかになった。②ロータリーファーメンターを導入した。内部にプロペラが付いており、マストをゆっくり回し、常に果帽をワインと接触させる。白はスキンコンタクトに使用。③コンサルタントのアゴスティーニのアドバイスで、全ての工程で厳しい手順を決める。タンクや樽からの分析をより多く行い、それぞれに合ったブレンドする。④新しい密閉式のプレス機、フィルターシステムやボトリングラインを導入。
「飲み頃になってから出荷」 日本に輸出するワインは、意図的にリリースを遅らせ、カンティーナでボトル熟成をしています。生産者にとっても、弊社にとってもリスクのある方法ですが、コルナッキアのような伝統的なスタイルのワインには、ボトル熟成が必要だと考えるからです。
「日本にモンテプルチャーノ ダブルッツオを広めたリーダー的存在」 稲葉のイタリアワインのルーツとも言えるワインがこのワインです。稲葉が初めてバローネ コルナッキアのワインを扱い出したのは1991年で、その頃日本市場にはモンテプルチャーノ ダブルッツォは皆無でした。そんな時代に、それまで経験したことの無い濃い色と、はちきれんばかりの果実味、そして、とてもソフトな口当たりで脚光を浴び、日本でのモンテプルチャーノ ダブルッツォの人気に火を付けました。25年余経った今では、多くの生産者のモンテプルチャーノ ダブルッツォが輸入され、イタリアンレストランのワインメニューに無くてはならないものとなっています。
<評価>
評価 ヒュー ジョンソン「ポケット ワイン ブック2017」に優良生産者として掲載。
「ブルボン王国の国境にあるフォルテッツァ・ディ・チヴィテッラに隣接した著名な葡萄園を管理していた男爵家の名声を保つのはフィリッポとカテリーナ・コルナッキアと父ピエロだ。その後、男爵家はコッリーネ・テラマーネのトッリ・ディ・トラーノ・ヌオーヴォ地区にあるお狩り場に移り、現在そこに醸造所と50ヘクタールのブドウ畑がある。現在ワイナリーを運営している若い世代の意志により有機栽培認証を得ている。」
「ガンベロ ロッソ イタリアワインガイド2018」より
<ピエロ コルナッキアと奥様>1996年ワイナリー訪問時
私どものイタリアワインのルーツとも言えるのがバローネ コルナッキアのモンテプルチアーノ ダブルッツォです。私どもが初めてバローネ コルナッキア家のワインを扱い出したのは1991年で、その頃日本市場にはモンテプルチャーノ ダブルッツォは皆無でした。そんな時代に、それまで経験したことの無い濃い色と、はちきれんばかりの果実味、そして、とてもソフトな口当たりで脚光を浴び、日本でのモンテプルチャーノ ダブルッツォの人気に火を付けました。25年余経った今でこそ多くの生産者のモンテプルチャーノ ダブルッツォが輸入され、イタリアンレストランのワインメニュに無くてはならないものとなっています。バローネ コルナッキア家が、この地方のワインが日本で普及するためのリーダー的存在であったと言っても過言ではないと思います。そのワインは、ほとんどのワインガイドブックにおいて、このエリアの優良生産者の筆頭にあげられています。
<ゴフレード アゴスティーニ>(2018年ワイナリー訪問時)
2012年からエノロゴのゴフレード アゴスティーニが参加しました。ピエロからカテリーナとフィリッポの姉弟へと世代交代が行われ、彼らはアゴスティーニからコンサルタントを得て、ワイン造りに改革を行いました。主な変更点は、①マセラシオンの期間を長くした。また、デレスタージュを行うようになり、タンニンがエレガントでなめらかになった。②水平回転式発酵を導入、上位キュヴェに使用。それにより、酸化させずに成分を抽出出来るようになった。③アゴスティーニのアドバイスの下、全ての工程で厳しい手順を決めた。タンクや樽からの分析をより多く行い、それぞれに合ったブレンドをする。④新しいフィルターシステムやボトリングラインを導入しました。その結果、伝統的なコルナッキアのアイデンティティは守りつつ、高いエレガンスを追求することが出来るようになりました。